2024.06.13

シリーズ“法学と経営学の交錯”
「両利きのコンプライアンス」の観点から見る顧客本位の業務運営の実効的取組み
~金融業界の事例を参考に~
(その3)

のぞみ総合法律事務所
弁護士 吉田桂公
MBA(経営修士)
CIA(公認内部監査人)
CFE(公認不正検査士)

4 「両利きのコンプライアンス」を踏まえた顧客本位の取組み事例

※ 本稿「その2」では、「能動的顧客サポート」について解説しましたが、「その3」では、「顧客本位マーケティング」について解説します。

(3)「顧客本位マーケティング」

ア マーケティング戦略の考え方

 マーケティング戦略を策定する際には、“Who(誰に:ターゲット顧客層)→What(どのような価値を:提供価値)→How(どのように提供するのか:提供方法)”の順序で考えることが有用です(図7参照)。このプロセスの中で、どのように顧客本位の取組みを実践していくかを考え、それを実践すること(私はこれを「顧客本位マーケティング」と呼んでいます。)で、顧客本位の取組みを戦略的に活用することができます[1]。こうした取組みは、「顧客数」と「購入頻度」の向上に寄与するものといえます。


<図7>マーケティング戦略の考え方

 

イ Who(誰に:ターゲット顧客層)

  例えば、以下のような要素を考慮して、ターゲット顧客層を設定することが考えられます[2]
 法人顧客:資本金、売上高等の業績、業種・業態、地域 など
 個人顧客:所得、投資経験、年齢、家族構成、ライフスタイル、地域 など

ウ What(どのような価値を:提供価値)

(ア)「モノ」で捉えるのか、「価値」で捉えるのか

 例えば、ハンバーガーショップにとってのライバルは、どこでしょうか。顧客に提供している「モノ」(商品)という視点で考えると、ライバルは、他のハンバーガーショップになります。これに対して、顧客にもたらす「価値」という視点で考えると、ライバルは、他のハンバーガーショップに限られません。例えば、「手軽にお腹を満たすことができる」という価値を提供していると捉えると、ライバルには、カフェやコンビニエンスストア、牛丼店等も含まれることになります。このように、「価値」で捉えることで、取組みの視野は広がります。

(イ)「機能的価値」と「感情的価値」

 上記で設定したターゲット顧客層に対して、いかなる価値を提供していくかが重要となります。この過程で、顧客の潜在ニーズや顧客が抱える問題を捉える必要があり、本稿「その2」で解説した「能動的顧客サポート」が必要となります。
 価値には、大きく分けて、「機能的価値」(商品・サービスそのものの機能・性能)と「感情的価値」(顧客が商品・サービスに対して抱く感覚的・精神的な価値)があります[3]
 「機能的価値」を追求することは当然に重要ですが、各企業が新商品・サービスの開発で鎬を削るなか、ここで独自性を出すことは容易ではありません。そこで、「感情的価値」でどのように差別化を図るかが重要となります。例えば、各商品・サービスにおける、①見込み顧客の開拓、②商品・サービスの提案・販売、③販売後のアフターフォロー等の各プロセスで、顧客にどのような体験をしてもらいたいか・どのような感情を抱いてもらいたいかを、顧客の立場に立って(顧客本位の視点で)考察し、そして、それらを実現するために何を行えばよいかを分析することは、有益であると考えます。
 ③販売後のアフターフォローについて、遠藤直紀他著『売上げにつながる「顧客ロイヤルティ戦略」入門』(日本実業出版社、2015年12月)では、ソニー損害保険株式会社(以下「ソニー損保」といいます。)の以下の事例が紹介されています(同書22~26頁)。

(ⅰ)雪害お見舞いメール

 保険加入者は、交通事故で保険が使えることは知っていても、大雪などの自然災害による車両損害にも車両保険が使えることを案外知らないことから、ソニー損保は、台風や大雪などの自然災害時に、顧客に、車両保険で補償されることを伝えるメールを配信している。

(ⅱ)年齢条件変更の案内

 契約期間中に誕生日を迎えて年齢条件を変更すると、すでに支払った保険料が一部返還される場合があるが、年齢条件が変更できる年齢になっても、手続きを忘れたり、年齢条件を変更できること自体に気づかない顧客が多く存在することから、ソニー損保は、顧客に、年齢条件の変更によって保険料が返還されることを案内している。

 これらの事例は、保険金の支払増加や返金という財務へのマイナスインパクトを及ぼすものであり、短期的利益を重視すればできないことです。しかし、ソニー損保は、目先の利益よりも顧客への価値提供や長期利益を優先して、このような取組みを行っています。結果として、顧客満足度は高まりますし、SNSでこうした顧客本位の取組みに関する口コミが広がれば、同社の企業イメージの向上や顧客獲得にも寄与するものと考えられます。実際、同社は、外部評価機関によるお客様満足度調査や外部表彰制度において高い評価を得ている上、正味収入保険料も右肩上がりで増加しています(同社ディスクロージャー誌2023参照)。顧客本位の取組みは、収益向上につながるものなのです。

(ウ)差別化の取組み-知的財産権の活用

 競合との関係では、他社との差別化をどのように図るのか、どのように自社の独自性を出すか、また、どのように自社の優位性・強みを活かすかを考えることが重要です。価値提供において差別化・独自性を獲得・維持するためには、知的財産権(特許権、著作権、意匠権、商標権、不正競争防止法による差止請求権等)の活用が重要です。これは、法務の戦略的活用の場面といえます。

エ How(どのように提供するのか:提供方法)

 価値の提供方法としては、非対面(ウェブサイト、電話、郵送、メール、SNS)、対面、オンライン対面等がありますが、“Who→What→How”が一連でつながることが必要です。例えば、高齢者に対して非対面で情報提供を行うのであれば、SNSではなく、電話や郵送の方がよいと思われます。

(「その4」に続く)


[1] 金融庁「投資信託等の販売会社による顧客本位の業務運営のモニタリング結果について」(2022年6月30日)(02.pdf (fsa.go.jp))では、以下のように、ターゲット顧客層を明確にした取組み(「一定のインターネットリテラシーや投資リテラシーを有する層や資産承継層などにターゲットを明確化」、「顧客セグメントに基づくアプローチ」)が参考事例として紹介されており、“Who→What→How”の中で顧客本位の取組みを実践することは、金融当局としても評価の対象としているものと考えられます。

・「一定のインターネットリテラシーや投資リテラシーを有する層や資産承継層などにターゲットを明確化の上、顧客ニーズに即して商品・サービスの絞り込みや顧客へのアドバイス機能の強化にて差別化を図り、顧客獲得に奏功している金融事業者も見受けられる」(同1頁)

・「顧客セグメントに基づくアプローチの差別化」(同3頁~)

[2] いわゆる「STP分析」における、Segmentation(セグメンテーション)とTargeting(ターゲティング)の作業に該当します。吉田桂公他著「【連載】​スタートアップの戦略と法務のポイント​ ​第3回「ミドル期」におけるスタートアップの戦略と法務」(「ミドル期」におけるスタートアップの戦略と法務 - BUSINESS LAWYERS)参照。

[3] 例えば、カフェでいえば、「おいしいコーヒーを提供すること」が機能的価値であり、「ゆったりとした居心地の良い店舗環境を提供すること」が感情的価値になります。

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