2020.04.16
新型コロナウイルスから考えるネガティブ情報対応 〜公益通報者保護法改正は、内部通報への取組みを変えるか〜
のぞみ総合法律事務所
弁護士・ニューヨーク州弁護士
公認不正検査士
結 城 大 輔
1 はじめに 〜 武漢市の医師の死と、WHO・台湾の対立
報道によると、中国湖北省武漢市の医師李文亮氏は、2019年12月、原因不明の肺炎を確認し、チャットで同僚などと、重症急性呼吸器症候群(SARS)が発生したなどとやりとりしていたところ、2020年1月1日、武漢市公安当局が、誤った情報を流して他人を混乱させたとして李医師ら8人を摘発したとのことである。発信を続ければ逮捕されるおそれがあると通告まで受けたと報じられている[1]。その後、李医師は新型肺炎感染が確認されて入院していたが、2月7日、亡くなったことが報じられている。
一方、これも報道によると、世界保健機関(WHO)は、米国国務省から、台湾から早期に、人から人への感染を警告されていたにもかかわらず、これを世界各国の保健当局に対し公表しなかった、公衆衛生より政治を優先した、などと批判されると、台湾当局からの電子メールには人から人への感染についての言及はなかった、と主張し、米国の批判に反論した、とされている[2]。しかしながら、これを受けて台湾当局は、WHOに対して2019年12月に送付した文書を公表して、「中国の武漢で非定型の肺炎が少なくとも7例出ていると報道されている。現地当局はSARSとはみられないとしているが、患者は隔離治療を受けている。」などの記載があることを指摘し、「隔離治療がどのような状況で必要となるかは公共衛生の専門家や医師であれば誰でもわかる。これを警告と呼ばず、何を警告と呼ぶのか。」などと、WHOに対し、人から人への感染が疑われる事案が起きていると警告していたと強調した、と報じられている[3]。
実際にどのような対応がなされたのかは調査報道等に委ねるとして、本稿では、事件、事故、不祥事、そして、新型コロナウイルス感染拡大のような感染症パンデミックなどの重大局面において、早期に、その兆候や原因などの重要な情報を掴んだ人物が、如何にしてその情報を真摯に受け止めて、しかるべき人物・部署・組織に伝達するか、そのような情報伝達の連鎖が繰り返されるかこそが決定的に重要であり、かつ、得てしてこれが容易ではない、という点について、筆者なりの個人的考察を加えてみたい。
2 ネガティブ情報の落とし穴
事件、事故、不祥事、感染症パンデミックなどの重大局面、すなわち非常時・有事につながる兆候や原因などは、まだそのような重大局面に至っていない平時において見ると、誰もが「うわ、危ないところだった」と感じるいわゆる“ヒヤリハット”にも至らない、取り上げるに足らない情報で、かつ、過度に重大な結果を強調する悪質な情報に感じがちである。時には、過度に不安を煽るネガティブ情報として、デマやフェイク、煽動であるとも取られかねない。当然ながら、指摘の時期が早ければ早いほど、その指摘には100%ないしそれに近い十分な客観的根拠や分析が伴わないことも多いため、なおさらそのような印象をもって受け止められやすいと言えるだろう。
冒頭取り上げた中国・武漢市での新型肺炎の可能性を指摘した李医師に対し、武漢市当局が取った対応など、その典型であろう。あるいは、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故に関し、巨大地震や極めて高い津波発生の可能性についても、従前から指摘がされていたとの分析も多数なされている。これは企業不祥事においても全く同じであり、例えば、海外の買収先子会社で、社長が監督当局のキーパーソンの家族を頻繁に豪華な旅行で接待するなど癒着がひどい、との匿名の情報提供が日本の親会社トップになされた場合、その不正が重大であればあるほど、「まさかさすがにそんなことはないだろう」「何かの間違いだろう」「○○社長は多少強引なところのあるやり手のエースだから、それを妬んだ誰かが足を引っ張ろうとしているのではないか」などと、当局への贈賄という極めて重大な犯罪行為はないという方向に考えようとするのが、ある意味人間としての素直な反応であろう。
このような、組織や企業にとってのネガティブ情報に初めて接したときの組織の中枢・経営陣の反応を分析すると、例えば次のような要素を見出すことができると思われる。
① 事なかれ主義
自分が担当役員・部長の時に、これ以上事を荒立てたくない
じっとしていれば熱りも冷めるでしょう
② 楽観主義
まあ、さすがにそこまでひどいことにはならないでしょう
たまたま少し地震が続いただけで心配し過ぎだよ
③ “対岸の火事”思考
それってたしかに問題だけど、あくまで〜〜国/〜〜部門/〜〜子会社での話でしょ
あくまであの会社での話で、同業だけどうちは違う
④ 厳密な証拠主義
客観的証拠で確認された訳ではない
断定できる状況ではないので、様子を見るべきだ
⑤ 実質論思考
たしかに形式的には基準違反だが、実質的には満たしているから大丈夫
⑥ “みんなで赤信号”思考
昔からやっている
業界みんなやっている
⑦ “傍聴者”思考(キティ・ジェノヴィーズ事件[4])
誰かが対応するでしょ
面倒なことに自分を巻き込んで欲しくない
⑧ “逆恨み”思考
誰だ、こんなみんなが嫌がることを言う奴は
今のトップに不満があるから、こんなこと言ってみんなを惑わそうとしているんだ
このような発想に陥りがちなのは、無意識の思いこみや偏見など、いわゆる“アンコンシャス・バイアス”による場合も少なくないだろう。自分は知らず知らずのうちにバイアスがかかった目で、当該情報に接していないだろうか、本当はとても大切な指摘がなされているのに、良薬が苦く感じているだけなのではないだろうか、と冷静かつ客観的な発想で自分の思考を分析することができていれば、上記のような発想には陥らず、重要なネガティブ情報を的確に捉えた反応ができるかもしれないが、現実には多くの人間は、余程強く意識をしなければ、なかなかそのようには考えられないものである(筆者自身、2020年1月の時点で、新型コロナウイルスのこれほどまでの世界的感染拡大を想像できていなかったのが現実である。)。
そして何より恐ろしいことは、ネガティブ情報を、例えば上司や組織の上層部等に伝達した際に、このような極めて否定的な反応を受けてしまうとすると、誰も、進んでそのような情報を伝達しようとしなくなる、という点である。上司やトップの耳に心地よい情報は進んで伝達しても、その逆となると、敢えて火中の栗を拾おうとはしないのが、多くの人の行動ということになってしまうのである。
3 解決策の1つ 〜 内部通報は宝
早期にネガティブ情報を指摘する声を的確に受け止めて、事件、事故、不祥事等の重大局面への進展を予防するためには、様々な切り口の取組みがあると考えるが、本稿では、そのうちの中心的な1つの取組みである「内部通報」に注目したい。
「内部通報」とは、企業・組織の内部者が、企業・組織に関する違法・不正行為を、当該企業・組織に対して明らかにすることを意味し、同じく企業・組織の内部者が、企業・組織に関する違法・不正行為を、当該企業・組織以外の者に対して明らかにする「内部告発」とは異なる行為である。
現在、多くの企業・組織は、内部通報を積極的に促す取組みに注力している。これは、内部通報が実効的に機能すれば、企業・組織は、自らに関する違法・不正行為等のリスク情報を、事情をよく知る内部者の力を借りることで、早期に、より正確にこれを把握することができ、これにより、事件、事故、不祥事等の重大局面を、より早い段階で防止、発見、是正できるという点で、コンプライアンスとリスク管理の徹底の観点で重要な意義を果たすからである。「内部通報は宝」というのは、まさにこのような意味である。
しかしながら、その一方で、内部通報について、「密告」や「裏切り」といった否定的なイメージを抱くというケースも、いまだに少なからず存在するのが現実だろう。経営陣を含む上位者が、建前としては、「我が社でも、内部通報を重要なものと位置づけ、内部通報制度の実効性向上に取り組んでいます」と宣言しながら、本音では、「結局、組織や上司に不満がある人間が内部通報をしてくるんだ」といった発想から抜け出せず、「こんな通報をしたのは誰だ!」と通報者探しを行おうとするという事例がいまだに存在するのは残念なことである。
消費者庁は、内部通報制度の実効性を高めるべく、2016年12月には企業等に向けたガイドラインを、2017年3月には国の行政機関向け、同年7月には地方公共団体向けのガイドラインをそれぞれ改訂・整備して、内部通報に対する適切な対応のベストプラクティスを示した[5]。さらに、2019年2月には、内部通報制度に関する認証制度として、自己適合宣言登録制度が登録を開始し[6]、2020年4月16日現在、57社がその登録を受けている。
このような流れを受け、多くの企業・組織では、内部通報に関する取組みを推進している訳ではあるが、では、冒頭から述べているようなネガティブ情報が、内部通報を通じて上がってきたとき、自社の経営陣や幹部が、上述したような事なかれ主義や楽観主義、対岸の火事思考やみんなで赤信号思考に陥ってしまう心配はないだろうか。誰がこんな通報をしたのかと、通報者探しをするような逆恨み思考に陥る懸念はないと断言できるだろうか。何かに気づいた社員が、ネガティブ情報を自ら進んで伝達してくれる、そういう雰囲気が存在しているだろうか。
あの時情報が伝わっていたら新型コロナウイルス感染拡大の現在は変わっていたのではないか、という仮定の議論をしても不毛ではあるが、少なくとも我々は、自らの企業・組織にとって重大なリスクと位置付けている事項に関連するネガティブ情報が内部通報で飛び込んできた時に、冷静にこれに反応できるか、きちんと受け止められるかを、胸に手を当てて改めて考えておくべきではないだろうか。
4 公益通報者保護法の改正は、内部通報への取組みを変えるか
2020年3月6日、公益通報者保護法の一部を改正する法律案が国会に提出された[7]。
同改正案では、事業者に対し、内部通報に適切に対応するために必要な体制の整備等を義務付けるとともに(従業員300人以下の事業者については努力義務)、違反企業には、助言・指導、勧告、公表という行政処置も定められている。また、内部通報の受付・調査等に従事する者に対し、通報者を特定させる情報について守秘義務を法定し、違反には刑事罰を導入している。さらに、公益通報者の定義に、退職後1年以内の退職者や役員を含めるなど、同法による通報者の保護を拡大している。施行は、公布の日から2年を超えない範囲内において政令で定める日からとされているため、2022年になることが予想される。
上記の体制等の整備義務等の具体的内容については、追って指針によって明らかにされるため、今後、多くの企業が改正公益通報者保護法への対応を行って行くことになるだろう。
しかし、指針の公開や、同改正法の施行をただ待っているべきではない。内部通報を通じてネガティブ情報が上がってきても、これを真の意味で「宝」として受け止めることが(特に経営陣の中で)なかなか容易ではない場合が少なくないという現実があるのであれば、今回の公益通報者保護法改正をきっかけに、少しでも早く、経営陣に内部通報の重要性を実感してもらい、本気で内部通報の実効化に取り組んでほしいと願っている。そして、経営陣がネガティブ情報の伝達を極めて重視しているのだということを、社員一人一人にはっきりと示すべきである。
人は、そもそも、重大なリスクを顕現化させかねないネガティブ情報に触れたとき、上記のような思考に陥ってしまいやすい性質を有しているものだろう。であるからこそ、当該ネガティブ情報により近い立場で触れ、実情をより知っている者からの内部通報は、決して軽視・無視してはならない。新型コロナウイルスが一瞬でも脳裏をよぎれば、「内部通報は宝」というキーワードがはっきりと意識できるのではないか、と期待している。
以上
[1] 2020年2月7日日本経済新聞(電子版)「新型肺炎警鐘の中国人医師死亡 武漢で自身が感染」「新型肺炎告発、中国の医師死去 処分から一転英雄扱い」ほか。
[2] 2020年4月11日AFP通信(電子版)「WHO、台湾の新型ウイルス早期警告を無視したとする米国の批判を否定」ほか。
[3] 2020年4月11日NHK NEWSWEB「台湾 12月末にWHOに送った文書公表“武漢で非定型肺炎”」。
[4] 1964年米国ニューヨーク州クイーンズで発生した殺人事件で、殺害されたキティが大声で助けを求めたが、38人いたとされる目撃者は、“誰かが助けるだろう”、“誰かが通報しているだろう”などと考え、誰も通報も助けもしなかったとされる事件。
[5] 消費者庁ウェブサイト「公益通報者保護制度」参照。
[6] 公益社団法人商事法務研究会ウェブサイト「内部通報制度認証」参照。
[7] 消費者庁ウェブサイト「国会提出法案」第201回国会(常会)提出法案参照。